2016年12月20日

みつけもの製作日記

みつけものを製作するまでの日記が出てきました。
2010年執筆だと思います。

映画を創ったことがないのになぜ創ろうと思ったのか?
佐々木氏との出会い 明知鉄道についての研究発表の会場で市役所の観光課の樋田さんに引き合わせてもらった 発表会場で先に発言されている佐々木さん、素朴で情熱のあるコメント。
古びた「女城主の里」の看板が寂しく見えた。
本丸で静かに遠くの山を見つめていたら、戦国時代の女城主が当時どんな想いでここに立っていたのだろうと胸が熱くなり、妙な動悸を覚えた。
佐々木さんとの話 町の人たちは、数人の歴史上の偉人を学び推奨する会に別れていて、
下田歌子派 佐藤一斎派 三好学派があるが、佐々木さんは私と同じ女城主派ということで意見が一致したのがスムーズに進むことになったきっかけだろう。
1つ目は、他所から入る場合、始めに地域のどの人と話をするかというのはとても大事。
なぜ女城主を地域のブランドにすると良いのかという、女城主の価値についての話を敢えてする必要がない。まずそこはすでに一致していることからスタート出来る。
2つ目、またその地域で顔が広く、周りの信頼を得ている人と話をすること。
他所から来て、映画を創りませんか、女城主をブランドにしませんかというかなり一方的な話をする訳なので、その地域でこれまで信頼の蓄積がある人の話は、周りの人が尊重するし協力も得やすいことから、そこを事前にリサーチして入り口としていった方がいい。
佐々木さんは、後々さらに明らかになったが、地域の年長者にも腰が低く、若手には頼られる兄貴的な方で、彼の頼みだったらいつでも飛んでいくよという人が男女問わずたくさんいる。それは彼がこよなく岩村が好きで、自営の仕事もしながら岩村のために日夜走り回っている姿を地域の人がみな知っているからだろう。
私もみつけものを創るに当たっては、私の依頼を面倒がらずにいつも気持ちよく引き受けてくださり、大変お世話になった。
この佐々木さんとの出会いがなければ、「みつけもの」も出来なかっただろう。
岩村城や町中を案内してもらう際にも、細かい解説をしながら一生懸命。私は佐々木さんと会う度に、この魅力ある歴史資産を持つ岩村をもっと知ってもらうために、もっと活性化するために私で出来ることならば何でもやらせてもらいたいという気持ちが強くなっていくのだ。
「映画を創ろう」それは2009年の夏頃から実は密かに考えていたが、全く映画製作の経験のない私は、いくら厚かましても自分から言い出すことは出来なかった。絵本を作って子どもたちに読み聞かせをするとか、漫画にするとか、Webサイトを創るとかそんなことを時々佐々木さんに会っては話をしながら、ずっと頭の中はモヤモヤしていた。
その間に私は女城主に関する本を取り寄せては、夢中で読み、女城主についての資料を集め、女城主をブランドにすることの可能性や方法などを考えていた。また他の地域がどのようなブランディングをしているのか、地域振興のさまざまな取組みなどを調べた。そんな中で、私はやはり岩村は地域の農産物などをブランディングするのではなく、女城主の人生や生き方から発せられる精神性やメッセージ性をブランドにするのが、この地域のオリジナルになるのだと確信するようになった。
初めて個人的に訪れた時、冬だったせいもあるかもしれないが、町中も城山も張りつめた緊張感と知的な印象を持った。田舎ののどかさももちろんあるが、そのベースにはゆるぎないルールに乗った規律を守りながら生きているような町の息づかいを感じた。


岩村ロケハン1.jpg

「いいとこだよ〜」と言う声は多い。「ではどこがいいか教えてください」
「自然は豊かだし、静かだし」「のんびりしててねえ」「近所がみんな知っとる人ばっかりだから安心」「歴史に関する行事やお祭りがたくさんある」
ではずっと住みたいかと聞くと、若い層と年配者では意見が別れる。若い層では、「通勤通学が不便」「遊ぶ所がない」「店が少ない」などの意見から名古屋やその他の都市に出たいという意見が多い。佐々木さんたち地域づくりに関わる中堅層の人たちは、こういう意見を憂う。高校生までは岩村にいても、その後は外に出てしまい、そのまま戻ってこなければ町の人口はこの先減るばかりだ。
「でも」と佐々木さんは力を込めて言った。「岩村がいい所だ、岩村が好きだと子どもたちが思ってくれれば、将来一度外に出ていっても戻ってこようと思ってくれるかもしれない。また岩村のことを誇りに思い、岩村のことを人に話してくれる。そうすれば他から岩村に来てくれる人がいるかもしれない。だから今こうやって岩村の魅力を知ってもらう活動、さらに魅力ある町にする活動を一生懸命やらなくてはだめだと思っているんです。」
佐々木さんには中学生を筆頭に3人の男の子がいて、まさに切実な問題でもあるわけだ。
名古屋に住んでいて、そういった考えを持ったことは一度もなかった。名古屋から人がどんどん出ていってしまい、閑散とした空き家だらけの町になったらなんて想像もしたことがない。でも一部の都会以外を除き、日本の地方の市町村はこうした不安を抱えている所は非常に多いと聞く。
この岩村も戦国時代は、三河から尾張を抜け、美濃から甲斐の方へ抜けていくと交通の要になっていた場所で、当時は繁華街だったわけだから、きっと今の佐々木さんたちが抱えているような心配はしていなかったのだろう。
しかし時代が変ると人の流れも変わり、町の在り方も変る。
「いい所なんだけどなあ。」
この町の発展と永遠の存続のためには、観光客が訪れる魅力づくりとおもてなしをするための仕事づくりが必要だ。
そしてその前に町の人たちが、そう決心する動機がなくてはならず、ではそれに一番必要な事は何かといえば「町に誇りを持ち、町を愛する気持ちを持つこと」。つまりシビックプライドなのだ。
このシビックプライドを地域の人たちに定着させるために、私は女城主をブランドとし、その精神性を地域に浸透させ、観光客へをもてなす企画づくりや体制づくりに役立てたいと考えた。
女城主については、確実な資料が多く残っているわけではない。しかしつなぎ合わせてみると「意思の強い」「知性ある」「優しい慈愛に溢れ」「自立した」女性であったと言える。意気盛んな武将たちにも恐れられた織田信長に逆い、領民を守るため、我が子を守るため敵の武将と結婚し、最後は織田軍と戦う道を選んだその姿は、現代の女性たちが抱える問題への答えともなる。本当の意味での「自立」と「愛」を教えられたのはきっと私だけではないと思うが、「自立」と「愛」を貫くのは、生易しいことではなく、確乎たる意思と責任が伴わなければならない。
こういった女城主の精神性が現代人に強いメッセージとなって伝わるようなブランディングをするにはどうしたらいいのか。
授業をしながら、本を読みながら、来る日も来る日もこのことが頭から離れない。
ある時、何気なくテレビで録画したお気に入りのドラマを観ていて、「やっぱり映像だよなあ」と思った。何度も繰り返す観ることが出来る。現に私は好きなシーンを何度も観たりすることがある。そしてわかりやすい。シナリオの作り方にもよるが、視覚と聴覚の両方で動画として表現されたものを観るというのは、子どもから大人まで幅広く理解されやすいし、何か他ごとをしながらでも耳だけで知ることも出来る。
「やっぱり映像がいい!ドラマを創ろう」
私はとうとう決心し、 次に岩村に出かけた際に佐々木さんに伝えた。
佐々木さんはなぜかニヤニヤしながら「ドラマですか〜」と答えた。
そこでわかったのだが、佐々木さん自身も高校時代に自主制作でショートムービーを創ったことがあるそうで、またちょうど恵那の合併記念で5年前から映画製作の計画が進んでいて、佐々木さんもそのメンバーになっているそうだ。
「で、どうやって創ろうと考えてます?」佐々木さんに聞かれ、私ももう開き直って答えるしかない。
「これからシナリオを書くので、一度読んでもらいたいんです。その内容でドラマとして良いのかどうか。そして製作はゼミの学生たちと一緒にやりますが、岩村の方たちにも手伝ってもらいたいと思っています。」
一緒に取材に同行していたゼミ生の伊藤君は、映像サークルに入っていて、サークルや授業で製作の経験が多少あると聞いていた。こうした学生たちが集まって相談しながらやれば出来ないことはないだろう。機材は大学のものを借りる予定だった。
では シナリオは書けるのか?これもまったく未知数。私はどちらかというと文章を書くのは苦手。でも今回に限っては書ける気がしていた。
「恵那に映像製作の仕事をしている人がいるんで、何か相談があれば彼に聞いてもらうといいですよ。今度紹介します。」
(プロがいたら心強い!よしなんか追い風吹いているんじゃない?)
私はシナリオもまだ書いていないのに、もう完成したような気になっていた。
実はこの時までにぼんやりとストーリーが出来始めていたのだ。帰りの道の車中で伊藤君にストーリーを話す。「どうかな?」
その時の伊藤君の返事は、あまりはっきりしたものではなかったが、「亡霊ですか?」と聞かれたことだけは覚えている。
12月、私はMacBookに向い、まずプロットを書き始めた。
頭の中にはすでに大凡のストーリーは出来ている。順序立ててアウトラインを書き、さらに肉付けをしていく。導入部の画は明確に浮かんでいる。ふと女城主には本当に子どもがいなかったのかと思った。主人公だけが亡霊を観るのだが、実は彼女は女城主の子孫だったからなのだという根拠を勝手にこじつけたため、気になっていたのだ。史実ではどこにも子どもの存在については否定されている。

夢中になってインターネットで検索をする。2つの検索エンジン、論文データベースなどをそれこそ朝から晩まで見つめ続け、シラミ潰しに調べていった。3日目あたりでは目が痛くなり、あきらめ始めた時、「女城主の子孫が書いた本がある・・・」という一文が目の中に飛び込んで来た。思わず手が止まったが、流行る心を抑えつつ、リンクをクリックする。それは「馬場六太夫」という書名で女城主の子孫が書いた本を見つけたと書かれた個人のブログだった。早速アマゾンで探してみると、なんと扱っているではないの!?
すぐに購入ボタンを押す。本の紹介文には「徳川幕府400年の間 我が馬場家はずっと監視されていた」と書いてあり、本の到着が待ち遠しくて仕方がなかった。
書き始めたら、どんどん次のカット、次のシーン、次のセリフが頭の中に浮かび出て、私は頭の中のイメージをどんどん活字にしていった。
キーボードを叩き,3日目。ほぼ完成した。
まるで自動書記のように、手が勝手に動いて書いたようだった。



岩村撮影駅.jpg


⇧2010年当時の旧岩村駅舎です。
岩村ロケハン1.jpg

posted by po at 10:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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