2016年12月27日

女城主をブランドに!

全国的にも女城主は希有な状態。これはオリジナリティにつながる大事なポイントだ。
私がこれまで調べたところでは、岩村の女城主のほかには、以下の5名の女城主や武者の存在がわかった。

星2︎安濃津城 江戸時代の城主富田信高(後に伊予宇和島城へ、代わって藤堂高虎が城主になる)の妻。
星2︎宇喜多忠家の娘。坂崎出羽守の妹。1600年関ヶ原の戦いの際、城を守る夫信高が毛利秀元らの攻撃に城外で苦戦しているとき、城から打ってでて多数の敵を倒し、夫を城内に退却させた。
星2︎巴御前・・・「平家物語」によると源義仲に仕えた甲冑を着て戦う女武者。
星2︎立花ァ千代・・・大友氏の有力家臣、立花道雪の娘、天正3年(1575年)に7歳の時、家督を譲られた。
星2︎井伊直虎・・・戦国時代の女性領主。1565年遠江井伊谷(静岡県浜松市)の井伊氏の当主となった。井伊直政を養子として育てた。最近、直虎は男性だったという史料が発見されたとのこと。

 岩村の女城主は、戦国時代に織田信長の叔母として当時この地方で勢力を持った遠山一族のひとり「遠山景任」に政略結婚で嫁ぎ、当初こそは城主の妻だったが、城主の病死後は自ら城に残り、城主となった女性だ。
妻としてまた人質の五坊丸の義母としての務めと、城主として領民の生活を守り、戦に出ることもあり、3ヶ月もの籠城を決意し実行した城主としての務めを果敢に果たしていた。


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⇧岩村城の石垣


この女城主そのものがブランドになる!と私は思った。

 そして、女城主の里に住む人々、そこへ訪れる観光客は、この地で何を得ることが出来るのか。観光で訪れる人々は、それぞれ何らかの期待を持ってやってくる。岩村の江戸時代の町並み、のどかな山と田園、地域の特産品、名物料理・・・。日常から離れた特別な時間や経験を求めて来る。
 しかし、それをただ1回だけの訪問で終わらせず、リピーターとなってもらうにはどうしたら良いのか。口コミで広げてもらうには何が必要なのかを考えなくては、観光の町へとシフトして行くことは難しい。そこで、オリジナリティとブランド力が試されるわけなのだ。
岩村の場合は、女城主というオリジナリティがある。そして、女城主のストーリーが訪れた人に敵将との間に芽生えた深くて強い愛情、こどもや領民を守るために強い意思と覚悟を持って生きた潔い心、そして何よりも女性としての美しい姿への共感を与える。私も女城主の物語を知った時に、励まされ自戒し、また前に向き直りといった経験をした。自分と女城主を照らし合わせ、感情移入し、共感するという、自分もこんな風に生きたい、こんな風になりたいと思うことこそ、ブランドだと言える。
 戦国から現代へと時間を飛び越えて夢を描く力があるのがブランドだ。岩村のブランディングは、まさにこの女城主という人そのものであり、このストーリーを地域づくりに活かす他ないと思ったのが、映画づくりを決心する動機だった。


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⇧女城主を弔うために作られた妙法寺のまくら塚

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2016年12月20日

みつけもの製作日記

みつけものを製作するまでの日記が出てきました。
2010年執筆だと思います。

映画を創ったことがないのになぜ創ろうと思ったのか?
佐々木氏との出会い 明知鉄道についての研究発表の会場で市役所の観光課の樋田さんに引き合わせてもらった 発表会場で先に発言されている佐々木さん、素朴で情熱のあるコメント。
古びた「女城主の里」の看板が寂しく見えた。
本丸で静かに遠くの山を見つめていたら、戦国時代の女城主が当時どんな想いでここに立っていたのだろうと胸が熱くなり、妙な動悸を覚えた。
佐々木さんとの話 町の人たちは、数人の歴史上の偉人を学び推奨する会に別れていて、
下田歌子派 佐藤一斎派 三好学派があるが、佐々木さんは私と同じ女城主派ということで意見が一致したのがスムーズに進むことになったきっかけだろう。
1つ目は、他所から入る場合、始めに地域のどの人と話をするかというのはとても大事。
なぜ女城主を地域のブランドにすると良いのかという、女城主の価値についての話を敢えてする必要がない。まずそこはすでに一致していることからスタート出来る。
2つ目、またその地域で顔が広く、周りの信頼を得ている人と話をすること。
他所から来て、映画を創りませんか、女城主をブランドにしませんかというかなり一方的な話をする訳なので、その地域でこれまで信頼の蓄積がある人の話は、周りの人が尊重するし協力も得やすいことから、そこを事前にリサーチして入り口としていった方がいい。
佐々木さんは、後々さらに明らかになったが、地域の年長者にも腰が低く、若手には頼られる兄貴的な方で、彼の頼みだったらいつでも飛んでいくよという人が男女問わずたくさんいる。それは彼がこよなく岩村が好きで、自営の仕事もしながら岩村のために日夜走り回っている姿を地域の人がみな知っているからだろう。
私もみつけものを創るに当たっては、私の依頼を面倒がらずにいつも気持ちよく引き受けてくださり、大変お世話になった。
この佐々木さんとの出会いがなければ、「みつけもの」も出来なかっただろう。
岩村城や町中を案内してもらう際にも、細かい解説をしながら一生懸命。私は佐々木さんと会う度に、この魅力ある歴史資産を持つ岩村をもっと知ってもらうために、もっと活性化するために私で出来ることならば何でもやらせてもらいたいという気持ちが強くなっていくのだ。
「映画を創ろう」それは2009年の夏頃から実は密かに考えていたが、全く映画製作の経験のない私は、いくら厚かましても自分から言い出すことは出来なかった。絵本を作って子どもたちに読み聞かせをするとか、漫画にするとか、Webサイトを創るとかそんなことを時々佐々木さんに会っては話をしながら、ずっと頭の中はモヤモヤしていた。
その間に私は女城主に関する本を取り寄せては、夢中で読み、女城主についての資料を集め、女城主をブランドにすることの可能性や方法などを考えていた。また他の地域がどのようなブランディングをしているのか、地域振興のさまざまな取組みなどを調べた。そんな中で、私はやはり岩村は地域の農産物などをブランディングするのではなく、女城主の人生や生き方から発せられる精神性やメッセージ性をブランドにするのが、この地域のオリジナルになるのだと確信するようになった。
初めて個人的に訪れた時、冬だったせいもあるかもしれないが、町中も城山も張りつめた緊張感と知的な印象を持った。田舎ののどかさももちろんあるが、そのベースにはゆるぎないルールに乗った規律を守りながら生きているような町の息づかいを感じた。


岩村ロケハン1.jpg

「いいとこだよ〜」と言う声は多い。「ではどこがいいか教えてください」
「自然は豊かだし、静かだし」「のんびりしててねえ」「近所がみんな知っとる人ばっかりだから安心」「歴史に関する行事やお祭りがたくさんある」
ではずっと住みたいかと聞くと、若い層と年配者では意見が別れる。若い層では、「通勤通学が不便」「遊ぶ所がない」「店が少ない」などの意見から名古屋やその他の都市に出たいという意見が多い。佐々木さんたち地域づくりに関わる中堅層の人たちは、こういう意見を憂う。高校生までは岩村にいても、その後は外に出てしまい、そのまま戻ってこなければ町の人口はこの先減るばかりだ。
「でも」と佐々木さんは力を込めて言った。「岩村がいい所だ、岩村が好きだと子どもたちが思ってくれれば、将来一度外に出ていっても戻ってこようと思ってくれるかもしれない。また岩村のことを誇りに思い、岩村のことを人に話してくれる。そうすれば他から岩村に来てくれる人がいるかもしれない。だから今こうやって岩村の魅力を知ってもらう活動、さらに魅力ある町にする活動を一生懸命やらなくてはだめだと思っているんです。」
佐々木さんには中学生を筆頭に3人の男の子がいて、まさに切実な問題でもあるわけだ。
名古屋に住んでいて、そういった考えを持ったことは一度もなかった。名古屋から人がどんどん出ていってしまい、閑散とした空き家だらけの町になったらなんて想像もしたことがない。でも一部の都会以外を除き、日本の地方の市町村はこうした不安を抱えている所は非常に多いと聞く。
この岩村も戦国時代は、三河から尾張を抜け、美濃から甲斐の方へ抜けていくと交通の要になっていた場所で、当時は繁華街だったわけだから、きっと今の佐々木さんたちが抱えているような心配はしていなかったのだろう。
しかし時代が変ると人の流れも変わり、町の在り方も変る。
「いい所なんだけどなあ。」
この町の発展と永遠の存続のためには、観光客が訪れる魅力づくりとおもてなしをするための仕事づくりが必要だ。
そしてその前に町の人たちが、そう決心する動機がなくてはならず、ではそれに一番必要な事は何かといえば「町に誇りを持ち、町を愛する気持ちを持つこと」。つまりシビックプライドなのだ。
このシビックプライドを地域の人たちに定着させるために、私は女城主をブランドとし、その精神性を地域に浸透させ、観光客へをもてなす企画づくりや体制づくりに役立てたいと考えた。
女城主については、確実な資料が多く残っているわけではない。しかしつなぎ合わせてみると「意思の強い」「知性ある」「優しい慈愛に溢れ」「自立した」女性であったと言える。意気盛んな武将たちにも恐れられた織田信長に逆い、領民を守るため、我が子を守るため敵の武将と結婚し、最後は織田軍と戦う道を選んだその姿は、現代の女性たちが抱える問題への答えともなる。本当の意味での「自立」と「愛」を教えられたのはきっと私だけではないと思うが、「自立」と「愛」を貫くのは、生易しいことではなく、確乎たる意思と責任が伴わなければならない。
こういった女城主の精神性が現代人に強いメッセージとなって伝わるようなブランディングをするにはどうしたらいいのか。
授業をしながら、本を読みながら、来る日も来る日もこのことが頭から離れない。
ある時、何気なくテレビで録画したお気に入りのドラマを観ていて、「やっぱり映像だよなあ」と思った。何度も繰り返す観ることが出来る。現に私は好きなシーンを何度も観たりすることがある。そしてわかりやすい。シナリオの作り方にもよるが、視覚と聴覚の両方で動画として表現されたものを観るというのは、子どもから大人まで幅広く理解されやすいし、何か他ごとをしながらでも耳だけで知ることも出来る。
「やっぱり映像がいい!ドラマを創ろう」
私はとうとう決心し、 次に岩村に出かけた際に佐々木さんに伝えた。
佐々木さんはなぜかニヤニヤしながら「ドラマですか〜」と答えた。
そこでわかったのだが、佐々木さん自身も高校時代に自主制作でショートムービーを創ったことがあるそうで、またちょうど恵那の合併記念で5年前から映画製作の計画が進んでいて、佐々木さんもそのメンバーになっているそうだ。
「で、どうやって創ろうと考えてます?」佐々木さんに聞かれ、私ももう開き直って答えるしかない。
「これからシナリオを書くので、一度読んでもらいたいんです。その内容でドラマとして良いのかどうか。そして製作はゼミの学生たちと一緒にやりますが、岩村の方たちにも手伝ってもらいたいと思っています。」
一緒に取材に同行していたゼミ生の伊藤君は、映像サークルに入っていて、サークルや授業で製作の経験が多少あると聞いていた。こうした学生たちが集まって相談しながらやれば出来ないことはないだろう。機材は大学のものを借りる予定だった。
では シナリオは書けるのか?これもまったく未知数。私はどちらかというと文章を書くのは苦手。でも今回に限っては書ける気がしていた。
「恵那に映像製作の仕事をしている人がいるんで、何か相談があれば彼に聞いてもらうといいですよ。今度紹介します。」
(プロがいたら心強い!よしなんか追い風吹いているんじゃない?)
私はシナリオもまだ書いていないのに、もう完成したような気になっていた。
実はこの時までにぼんやりとストーリーが出来始めていたのだ。帰りの道の車中で伊藤君にストーリーを話す。「どうかな?」
その時の伊藤君の返事は、あまりはっきりしたものではなかったが、「亡霊ですか?」と聞かれたことだけは覚えている。
12月、私はMacBookに向い、まずプロットを書き始めた。
頭の中にはすでに大凡のストーリーは出来ている。順序立ててアウトラインを書き、さらに肉付けをしていく。導入部の画は明確に浮かんでいる。ふと女城主には本当に子どもがいなかったのかと思った。主人公だけが亡霊を観るのだが、実は彼女は女城主の子孫だったからなのだという根拠を勝手にこじつけたため、気になっていたのだ。史実ではどこにも子どもの存在については否定されている。

夢中になってインターネットで検索をする。2つの検索エンジン、論文データベースなどをそれこそ朝から晩まで見つめ続け、シラミ潰しに調べていった。3日目あたりでは目が痛くなり、あきらめ始めた時、「女城主の子孫が書いた本がある・・・」という一文が目の中に飛び込んで来た。思わず手が止まったが、流行る心を抑えつつ、リンクをクリックする。それは「馬場六太夫」という書名で女城主の子孫が書いた本を見つけたと書かれた個人のブログだった。早速アマゾンで探してみると、なんと扱っているではないの!?
すぐに購入ボタンを押す。本の紹介文には「徳川幕府400年の間 我が馬場家はずっと監視されていた」と書いてあり、本の到着が待ち遠しくて仕方がなかった。
書き始めたら、どんどん次のカット、次のシーン、次のセリフが頭の中に浮かび出て、私は頭の中のイメージをどんどん活字にしていった。
キーボードを叩き,3日目。ほぼ完成した。
まるで自動書記のように、手が勝手に動いて書いたようだった。



岩村撮影駅.jpg


⇧2010年当時の旧岩村駅舎です。
岩村ロケハン1.jpg

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2016年12月19日

ココロを動かす市民映画〜女城主の研究

2012-2014年にかけ、愛知県立芸術大学美術研究科デザイン領域で地域デザインの研究をしました。
2年次の研究報告のテーマは、
「ココロを動かす市民映画とストーリーマーケティング〜岐阜県恵那市岩村町を事例として〜」でした。
2010年に岩村町で撮影した「みつけもの」は、私にとって初めての地域映画。
この町の女城主との出会いが、未経験だった私に映画製作という新しい挑戦に挑む勇気をくれました。
映画の持つ力は、すでに周知されている通りですが、
感情移入や共感する効果を使って、女城主から伝わるメッセージをまちづくりに活かすことが出来る!
と考えたのです。


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映画のシナリオを書く際に発見した女城主の子孫の存在。
その子孫でいらっしゃる馬場静枝さんとは、すでに7年のおつきあいをさせて頂いています。

主に手紙の交換が多いのですが、一緒に岩村へ出かけたこともありました。
2015年の春です。
一緒に木の実峠に行きました。
馬場さんが木の実峠にお線香を持って祈りに行きたいとのことで、
私も足を踏み入れたことがないその地に出かけたのです。
岩村の方に案内をして頂きましたが、岩村の方でさえ、その場所に立ち入るのはためらわれるという場所です。

織田信長の侵攻により、岩村城が開城された後、城内にいた領民たちが山を降りて行く際に織田軍に挟み撃ちされて全員が殺されたという峠です。

映画撮影の前、岩村城を案内するために知り合いの車に乗っていて、
道を間違えてしまいました。
轍の深い、草木が生い茂る道で、おかしいなあと思いながら進んでいたのですが、
その先にトンネルを見つけた時、「この先に進んではいけない」と直感的に感じ、
引き返しました。
しばらくしてから、インターネットで木の実峠の画像を見つけた時にハッとしたのですが、
その道は木の実峠だったのです。

女城主にすっかり魅了されている私は、やはりその場所には足を踏み入れられない何かを感じたのかもしれません。
今は、穏やかで平和な町ですが、当時はさまざまな人々の想いがあったのも事実です。
歴史を生きた人々への敬意を忘れず、
未来を考えていくまちづくりをしたいと思います。

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2016年12月17日

女城主から始まった

岩村の女城主をブランディングするために、2010年に撮影した「みつけもの」。
すべてはここから始まりました。

http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~mitukemono/

その前年に、初めて岩村を訪れ、女城主の存在を知り、何故かとても惹きこまれてしまった私。

その頃、大きな悩みに打ち負かされそうになっていましたが、女城主の物語を知るほどに、勇気づけられ、励まされ、自分を鼓舞することが出来たのです。
そして、この女城主そのものが今の女性たちに必ず響くコンテンツになる!と思ったのです。

映画など創ったこともなかった私ですが、気づくと
岩村の佐々木さんに
「映画を創りましょう!」と言っていました。

岩村には女城主の魂がある。
岩村は女性が創る町に出来る。
女城主のメッセージが世の中の女性たちを勇気づける存在になる。

そう、信じて走り出しました。

不思議に色んな方が手伝って下さいました。

女城主が喜んで、応援して下さっているように思いました。

「みつけもの」は、東日本大震災の直前に完成しました。
1人の女子大生が岩村を訪れ、女城主に出会い、
自分の生きる道をみつける話です。
上映ポスター.jpg

http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~mitukemono/


この映画の編集に入る頃、「みつけもの」のwebをご覧になった堤幸彦監督からお声をかけて頂き、それがご縁で編集のアドバイスを頂きました。
監督のブログを読んで、茂木英興さんが音楽を創って下さいました。

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堤監督とは、その後の愛知県高浜市の市民映画「タカハマ物語」で、堤監督が監修され、私は監督と脚本を務めさせていただくという貴重なご縁をいただきました。

あり得ない程のご縁をたくさん頂き、奇跡的に完成したと思います。
ありがたくて、毎晩泣きました。

またこんな不思議で感動的な出会いもありました。
この映画のシナリオを書く頃に、女城主の子孫の存在を発見したのです!
史実では女城主には子どもが出来なかったようですが、ひょっとしたら?と思い、3日ほど目が痛くなるほどインターネットで探していた時に、
「女城主の子孫が書いた馬場六大夫という・・・」本があるという言葉が目に飛び込んで来たのです!

本を直ぐに取り寄せ、馬場静枝さんとおっしゃるその方に手紙を書きました。
2009年の年末です。
文芸社を通じて送りました。
文芸社から馬場さんに手紙を送りましたという連絡をもらい、ドキドキして待ちました。

年が明けた1月2日、馬場さんからお返事が届いたのです!

直ぐに会いに行きました!
新幹線で1時間40分。
馬場さんは最寄りの駅で待っていて下さいました。
「女城主のご子孫!」
感激でした。

馬場さんは、みつけものの完成試写会に名古屋まで駆けつけて下さいました。
涙を流して喜んで下さり、私も泣いてしまいました。


なんとか馬場さんというご子孫のことを、史実として認めて欲しいと思い、何か情報がないかと
その後も活動をしています。

四国の村上水軍博物館にも行きました。
女城主の子ども、六大夫は、村上水軍によって伊予の国に落ち延びたのではないかという馬場さんの調査から、学芸員の方に直接会いに行ったのです。
残念ながらまだ確実な資料は出ていません。

情報があれば、ぜひお知らせいただきたいです!

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また、女城主のことを直接語りたいと思い、女城主のリアルキャラ「岩村 直姫」をつくり、私自らが直姫として武将隊活動を始めました。

最後に共に織田信長によって逆さ磔の刑に処せられた夫・秋山信友(虎繁)を息子が演じ、共に武将隊で女城主の物語を演じています。

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